性善説を唱える奴らは、多くの犠牲を生んだ。
それは、まるで水が張ってあるプールのように見せかけた騙し絵に飛び込ませているようなものだから。下はコンクリートだ。
求めれば「もっともっと」とキリがなくなり、永遠の渇望地獄に落とされてしまう種類の欲がある。
この種の欲にハマった境界知能が世の中のバランスを歪めている。
最大の失敗は、彼らに権力を握らせたこと。
個人のアレルギー反応に周囲が翻弄される世の中。
アレルギーじゃなかったのにアレルギーになってしまった。
物質的に恵まれることが必ずしも幸福に繋がるわけではない。むしろ、それを追うことで不幸に繋がることさえある。猿共はそんなものに時間と労力を全力で費やしてきた。
例えるなら、10段階の価値があるものの中からわざわざ5を選択し、それを神かなんかでも崇めるようにして信奉してきた感じ。
5より上が見えないわけではない。なぜか見ようとしない。5に対する行き過ぎた欲、執着が邪魔をする。それは間違っている。
間違いは是正されなければならない。しかし、長年に渡って血肉となって染みついたその価値観、風習は癖となってしまい、一朝一夕に払拭することはできない。しかもそれを払拭することが、肉体の維持を阻害することに繋がるような社会構造を構築してしまった。
つまり、本当の幸福を追う行為を、我々は、我々自身の手で放棄し、2度と手にしないための努力をし続けてきた。2度と手にしない契約を自分自身で締結してしまった。
都合が悪いから排除する、自分の欲望を満たすために邪魔だから排除する、排除することで利益を得ることができるから排除する。
このようなガサツなやり方で構築されてきた世の中に欠陥が無いわけがない。
身体で例えれば、目先の「邪魔だから」という感情に任せて、大事な器官と知らずにそれを排除してしまった結果、身体が全く動かせなくなってしまった。というようなことが、この世の中が構築される過程であったのではないか?ということ。そうなってしまえば、もう延命措置で身体をチューブまみれにされ「生かされる状態」に陥ってしまう。
この世の中の構造が、既にこのような「生かされる状態」になってしまっているのではないか?。過去のホモサピエンス共が、取り返しのつかないレベルの破壊を既に行ってしまっているのではないか?という仮説。
この社会は機能しているのではなく、あたかも機能しているかのように見えているだけであり、そこに生きているかのように見える我々もまた、生きているのではなく、生かされているだけの存在なのかもしれない。