「楽しい」という感覚を享受することは難易度が高すぎるため、「愉快」という感覚で代用している。
「愉快」の便利なところは、「楽しい」という感覚とは程遠い、他者を見下し、悦に浸るという、暗くジメジメとした、中毒性のある快が許されているところにある。この醜い感覚は、ホモサピエンス元来の素直な攻撃性を表出させるだけで簡単に得られる快であり、稚拙で理性のない、程度の低いホモサピエンスほど、この中毒に屈してしまう。
彼らは「マウント乞食」「マウンティングゴリラ」などと揶揄され、忌み嫌われている。
この快を継続的に得られなくなると、彼らは「生きていて楽しくない」などと被害者ぶったことを口にしだし、本気で鬱病を発症したりする。自分が得ようとしている「楽しい」の正体が何なのかということは顧みず、ただただ快が得られなくなったから快をよこせと、麻薬の切れた麻薬中毒者のように喚き散らしているだけ。彼らの相手をすることは、時間の無駄どころか、こちらに多大なる損失をもたらす恐れすらある。